絶景の美瑛と謎の国後島


『街道をゆく』の「15 北海道の諸道」の旅は、1978年9月に10日間にわたり、道内でも一部飛行機に乗るほど、長期間、長い行程だった。
2012年6月に、北海道のほとんど東端にある斜里町の「北のアルプ美術館」で、串田孫一の書斎の移築完成記念の内覧会が開催された。(この文中ではこの内覧会のことは省略している。)
道央の美瑛には、須田剋太のすばらしい作品を並べた新星館がある。
それで美瑛、旭川、斜里と、北海道の中央部から東部をめぐった。
(『街道をゆく』の旅の西部、函館~札幌あたりについては2017年に行った→[「北海道の諸道」-開通まもない北海道新幹線に乗る])

第2日 十勝川河口  
第3日 新星館 中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館 石狩川と牛朱別川の合流点 旭川駅
第4日 旭山動物園 兵村記念館 
第6日 国後島 羅臼川河口 

第2日 十勝川河口

* 北海道には帯広空港から入った。
レンタカーを借り、東へ向かって十勝川河口に着いた。

■ 河口ウォッチング-十勝川河口

6月中旬の北海道。
本州の梅雨と蒸し暑さを逃れてきたつもりだが、涼しさが度をこして、うす寒いくらい。
河口の右岸の土手の上に警報板があり、「濃霧低温注意報発表中」とでている。
土手の上からは、河口の風景が広く見渡せる。
河川管理のための小建築物があるほかは、人工物がない自然な河口だった。

砂地になる手前で車を降りて、先端まで行った。
流木がまとめられて、いくつかの山になっている。
ゆるやかに起伏する砂地には、風がかいた風紋。
波で運ばれてきたのか、川を流れてきたのか、赤いおもちゃの車が転がっていたり、青いどらえもんのぬいぐるみが砂に突っ伏していたり、寺山修司の世界のよう。
ぼそぼそと生えている草を風が同じ向きになびかせる。
寄せる波。暗い雲。
川と海が接触する河口を訪れると、異質なものがぶつかって、不穏な空気が漂うことが多いが、ここもそうだった。

十勝川河口

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第3日 新星館 中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館 石狩川と牛朱別川の合流点 旭川駅

* いかにも北海道らしい、なだらかな丘がうねるなかを快適にドライブして美瑛に着いた。

■ 新星館(須田剋太・島岡達三美術館)
北海道上川郡美瑛町新星の丘 tel. 0166-95-2888
http://www.waneibunkasha.com/sinseikan.html

新星館はひとつの丘の頂点に建っていた。
さまざまな高山植物に囲まれている。
着いたとき、館主の大島墉(おおしまよう)さんは花の手入れをしているところだった。。(名前の「よう」が表示されない場合、「土」へんに「庸」)
新星館(須田剋太・島岡達三美術館)

大島さんと須田剋太の縁は、大島さんが大阪でお好み焼きの店をしていたときに始まった。
事業に失敗して、お好み焼きで再生に奮闘している時期だった。
整体に通ってそんな身の上話をしていたが、同じところに司馬遼太郎も通っていて、整体師を通じて司馬遼太郎が大島さんに関心を持った。
司馬遼太郎が須田剋太に大島さんを薦める手紙を書き、須田剋太がそれにこたえてたくさんの書画をプレゼントした。
大阪では今は喫茶美術館として公開されている。

北海道では夏の間だけ作品を公開している。
須田剋太の作品をきれいな景色の中で見てもらいたいと考えた大島さんは、遠い北海道の丘を選んだ。
建物は古い家を探して糸魚川から運んだ。
民家特有の黒っぽい部屋で作品を見ながら進んで、3階に上がると、いきなり大きなガラス窓から大展望が広がる。
正面に十勝岳が構えている。

新星館からの雄大な展望 「お客さんが入って、時間が経って、そろそろ聞こえるぞと待っていると、ワーという歓声が聞こえてくるのが楽しみの1つ」と大島さんがいわれる。

須田剋太の見応えのある作品が並んでいるが、司馬遼太郎から贈られた書や絵もある。
さらさらと自宅の庭を描いた水彩画には、こんな文字が添えてある。

書屋に菜の花を植えて
春浅きために欅はま
だ嫰葉、下草の石蕗
の葉は照り、一寒一暖
       遼

書には
「天爵を感ずる処 大島兄 遼」
とある。「天爵」は聞き慣れない言葉だが、辞書には、天から受けた爵位、自然に備わった人徳、天から授かった美徳とある。
司馬遼太郎、須田剋太、大島墉という3人の特異な人物の結びつきにも感じ入る美術館だった。

* 美瑛からレンタカーで走って旭川に着く。旭川市彫刻美術館は市街の北にある。昼どきになっていたので、そこに向かいながらどこか道沿いのレストランに入ろうと思った。でも郊外の住宅街になってしまって、食べる店など先にいくほどなさそう。
しかたがないので、ようやく見かけたローソンに入って、おむすびや飲み物などを調達する。
彫刻美術館前と公園の間の道の街路樹の影に車をとめて、白い彫刻美術館を眺めながら食べた。ついでに少しの時間、昼寝する。これはこれで気楽でいい。


■ 中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館
北海道旭川市春光4区1条1丁目

もとは旧陸軍第7師団の旭川偕行社で、幹部の社交クラブのようなものだったろうか。1902年に建って、1989年に国の重要文化財に指定された。
その後、郷土博物館として使われたあと、1994年から彫刻美術館になっている。
改修工事で閉館中で中に入れなくて、コンビニのランチを食べながら外観を眺めただけになった。

須田剋太『旭川偕行社 郷土博物館』 旭川偕行社 郷土博物館
須田剋太『旭川偕行社 郷土博物館』

* 隣に井上靖記念館があった。寄ってみると東京から書斎を移設した完成記念展を開催していた。
美瑛に行く前に中札内の芸術村に寄った。川越の相原求一郎と、鎌倉の小泉淳作の作品があり、アトリエに一部が移されていた。
美瑛では須田剋太の優品多数。
このあと行った斜里にある北のアルプ美術館には、東京から串田孫一の書斎がまるごと移されていた。
芸術作品や、その制作に関わった場が、北へ大量に吸い上げられている!かのような思いがした。
それほど北海道が広いというか、北の人の文化の受容力が高いというか。


■ 合流点ウォッチング-石狩川と牛朱別川

旭川は川の街。
有名な旭橋付近で、石狩川と牛朱別川(うしゅべつがわ)が合流している。
このあたりの景色のつくりはみごとなものだった。自然のなりゆきに放置するのではなく公園や散歩道ににしているが、人工的に作りすぎることもなく、穏やかで、目にも気持ちにもやさしく心地よい。
石狩川と牛朱別川の合流点

● 旭川ターミナルホテル+旭川駅

ホテルでは旭川駅を眺められる部屋に泊まった。
眼下に駅があり、駅前は工事中で、深い穴が掘られ、フェンスで囲われていた。
内藤廣設計による新しい旭川駅舎は完成している。ガラスのドアの向こうにすぐ川沿いに立つ木々が見えている。

旭川駅の北側 旭川駅の南側
旭川駅の北側。駅前再開発中で、その先に繁華街がつづく。 旭川駅の南側は、一転して、すぐ前を忠別川が流れる。

(このホテルは2012年9月末で閉じた。駅に近く、眺めがよく、手頃な料金だったのに惜しい。築30年で老朽化していて、営業を続けるための改修経費の回収は難しいためという。旭川駅前は再開発中の一等地で、解体して今後の方針を決めていくことになるらしい。)

* 翌日、旭山動物園に行った。
市街からちょっとした距離があるが、バス便が30分ごとにあり(北海道の都市郊外に向かうバスにしては多いだろう)、園内もにぎわっていた。


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第4日 旭山動物園 兵村記念館

■ 旭山動物園と兵村記念館
http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/
http://a-heison.sakura.ne.jp/

かつて埼玉県立自然史博物館に勤務していたころ、ミュージアムマネジメントの研修があった。その頃、旭山動物園が「行動展示」というものを始めて動物園をおもしろくしたが、その発案者の講演も研修の1コマにあった。既成概念を破って新しいことを生み出していった人の話はおもしろかった。
もう10年以上経ってしまってようやく来ることができた。

奇獣珍獣がゾロゾロいるわけではないが、オランウータンやペンギンなど、動物園にふつうにいる動物たちそれぞれの固有なおもしろさを見せてくれる。
動物園でおなじみの動物どころか、日常そこらにいるカラスまで、うんちくを加えて見せてしまう。
さすが。

旭山動物園のアビシニア・コロブス 旭山動物園のアビシニア・コロブス

いちばんひかれたのがこの猿。
アビシニア・コロブスというオナガザル科の猿で、エチオピアからケニアにいる。
長くつややかで高級そうな(といっても身につける趣味はないが)毛をしている。
遠くを見るちょっと哀しそうな目がいい。

バス停をいくつか旭川駅方向に戻って、兵村記念館に入った。
兵村(へいそん)とは屯田兵の集落のこと。

須田剋太『屯田兵原屋』 司馬遼太郎と須田剋太は、旭川偕行社=郷土博物館の近くにあった屯田兵の住居を見ている。旭川偕行社は、郷土博物館から美術館にかわり、そのとき屯田兵の住居も移築されたので、見ることができなかった。
(須田剋太『屯田兵原屋』』)

兵村記念館 かわりに兵村記念館内で部分的に復元されているのを見た。
下見板張りの壁は薄っぺらで、屋根だけで天井がない。南の島のヤシの木陰にでもあるのがふさわしそう。
明治期の北海道の開拓は、こうした屯田兵と犯罪者による、多くの犠牲者がでた厳しい労働で行われた。

圧倒的な力で理不尽に服従を強いる権力への司馬の怒りに共感した。
(司馬一行は樺戸監獄を見に行ったが、僕はこのあと網走の監獄を見た。)

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第6日 国後島 羅臼川河口

* 旭川から網走まで半日がかりで各駅停車、2両編成の電車で移動した。
網走でレンタカーを借りて、斜里を通り、知床半島を横断した。
半島を横断するのは森の中の道かと思っていたが、意外に見晴らしが開けた道が長く、気分がいい。


■ 国後島1

知床峠の駐車場で、雲海に浮かぶ山が見える-と思ったら、国後島だった。
空気がかすんでいて、海が茫洋としている。
国後島は低く長く横たわっていた。
北海道からはこんなに近いのかと実感的に位置関係がわかった。

* 知床半島を羅臼側に降りると河口があった。

■ 河口ウォッチング-羅臼川

羅臼岳から流れてくる羅臼川で、上流を振り返れば先に羅臼岳が見える。
河口と源流の山の関係がこれほど明瞭に見えるのは珍しい。
河口の岸辺にカモメがたくさんいた。
羅臼川の河口

すぐそばの港に、漁を終えて帰ってきた船が入った。
魚を軽トラックに移しかえていると、カラスがまとわりついて奪い取ろうとする。こんなにあからさまに攻勢をかけるカラスは初めて見た。

■ 国後島2

羅臼川の河口から坂道を上がると羅臼国後展望塔がある。
高い位置に上がってみても、島影はかすんだままだった。

須田剋太『国後島アトイヤ岬 嘉兵衛の活躍地』 須田剋太は『国後島アトイヤ岬 嘉兵衛の活躍地』という絵を描いている。

司馬遼太郎の『菜の花の沖』は、淡路島出身の廻船業者、高田屋嘉兵衛を主人公にしている。嘉兵衛は北方航路を開拓し、国後島もその活躍の舞台ではあった。
ところが、『街道をゆく』の「北海道の諸道」の取材では国後島に行っていない。
網走や斜里には行ったが、文章から判断される限りでは国後島が見える所には行っていない。
須田剋太の絵は一見、ふつうの風景画のようだが、アトイヤ岬は島の北東の端にあり、もし北海道の旅の途中、国後島が見える所に行ったとして、絵に描いた岬は見えるはずがない。
須田剋太が資料や絵画を模写することはしばしばあることなので、この国後島もそうだろうと思う。

それにしても、元になる絵をどこで見たろう?
羅臼国後展望塔で須田剋太の絵の岬のことをたずねたが、詳しい人が係をしているのではなく、わからなかった。

* 知床半島の背骨の山地から海に流れ下るいくつかもの細い河口を横切りながら南下し、野付半島の細い砂嘴の道を先まで行ってみた。
電柱と電線がずっと伸びている
野付半島は、地図では太陽のプロミネンスのようなかわった形をしている。
先に向かう道はしっかりした地面のようだが、道からはずれると、水と薄い土がいりくんだ、かわった景観になっている。
ここから国後島の南西端が近い。
もちろん島の東北端にあるアトイヤ岬は見えない。
うっすら雲って、海と空とが見分けにくいほど。
景色にあわせて気持ちも茫洋としてきた。


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参考:

  • 『街道をゆく 15』「北海道の諸道」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1981
  • 『須田剋太・島岡達三』大島埇編 小海町高原美術館 1997
  • 『街道をゆく』週間朝日掲載は1979年
  • 7泊8日の行程(2012.6/11-18)
    (→電車 =バス -レンタカー ~自転車 …徒歩)
    第1日 羽田空港(ANA)帯広空港-小泉淳作美術館・北の大地美術館・相原求一郎美術館-エゾリス君の宿カンタベリー泊
    第2日 -十勝川河口-十勝ヘレン・ケラー記念塔-北海道ホテル~六花亭本店~六花亭ホール~十勝ビール~双葉幼稚園~北海点字図書館~エルミナ~帯広市立図書館~北海道ホテル泊
    第3日-新星館-中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館・井上靖記念館-石狩川・忠別川合流点-旭川駅・ステーションギャラリー…北海道立旭川美術館…旧旭川天文台…旭川市立図書館…旭川ターミナルホテル泊
    第4日 …氷点橋=旭山動物園=兵村記念館=旭橋…石狩川・牛朱別川合流点…川のおもしろ館…旭川駅→網走駅…北海ホテル泊
    第5日 …網走川河口…モヨロ貝塚…網走市立図書館…網走市立郷土博物館…網走市立美術館-北浜駅-原生花園-オシンコシンの滝-オロンコ岩-国民宿舎桂田泊
    第6日 知床峠-羅臼川河口-羅臼国後展望塔-野付半島-標津町ポー川史跡自然公園-ポー川河口-朱円周庭墓-斜里町立知床博物館-斜里町立図書館-ホテルグランティア知床斜里駅前泊
    第7日 …斜里川河口…知床斜里駅-北のアルプ美術館-斜里町立図書館-公民館-ホテルグランティア知床斜里駅前泊
    第8日-能取岬灯台-網走刑務所-博物館網走監獄-オホーツク流氷館-女満別駅・図書館-女満別空港(ANA)羽田空港