比叡山越え-「叡山の諸道」


『街道をゆく』の「16 叡山の諸道」をたどり、京都から北に向かい、比叡山を西から東に越えて、琵琶湖岸に降りた。

第1日 比叡山の西 [赤山禅院 修学院きらら山荘(泊)]  
第2日 比叡山に上がる [曼殊院 京都造形芸術大学 延暦寺(泊)] 
第3日 比叡山を東に下る [延暦寺/無動寺谷 慈眼堂 日吉大社 鶴喜そば店 坂本生源寺 日吉そば 琵琶湖疎水取り入れ口]

第1日 比叡山の西 [赤山禅院 修学院きらら山荘(泊)]

* 毎年秋に須田剋太の郷里、埼玉県鴻巣市で、須田剋太の作品による展覧会を開催している。2012年には大阪府所蔵の『街道をゆく』の挿絵を借りて原画展を開催し、大阪への返却に立ち会ったあと、京都に向かった。
大阪から京都へは、京阪本線の特急に乗り、出町柳まで1時間ほど。
午後早い時間の特急は、すいていて快適だった。
出町柳で叡山電鉄に乗り換える。
2両編成で、座席の一部が外に向いたソファになった観光仕様の車両だった。
ワンマン運転で、途中駅ではいちばん前のドアきりあかない。


■ 赤山禅院(せきざんぜんいん)
京都市左京区修学院開根坊町18

修学院駅で降りて赤山禅院に向かう。

須田剋太「赤山神社入り口の大鳥居」 赤山神社入り口の大鳥居
須田剋太『赤山神社入り口の大鳥居』

須田剋太「赤山禅院」 赤山禅院
須田剋太『赤山禅院』

日暮れ時に着いて、あちこちの灯りが目立ちはじめている。

須田剋太「赤山禅院の屋根の猿」 赤山禅院の屋根
須田剋太『赤山禅院の屋根の猿』

本堂の屋根上、中央に猿の像があり、金網をかぶせてある。
このあたりから比叡山に上がる道があるらしいのだが、案内の小屋にいる人に尋ねると「ここから上は宮内庁の管轄だから、うかつに入らないほうがよい」という。

このあたりは細くて、まっすぐでない道が入り組んでいる。今夜の宿に向かう途中で、武田薬品工業京都植物園の前を通りかかった。
門から中をのぞくと、味のある洋館が建っている。研究所かゲストハウスだろうか。(下右)
この脇の道を須田剋太が描いている。(下左)

須田剋太「武田薬品農園附近」 武田薬品工業京都植物園
須田剋太『武田薬品農園附近』

● 関西セミナーハウス・修学院きらら山荘
京都市左京区一乗寺竹ノ内町23 tel. 075-711-2115

今夜の宿は、比叡山につづく高台、曼殊院の隣の静かなところにある。木々に囲まれているが、わずかな隙間から京のまちの家々の灯りが見おろせる。
キリスト教系の研修施設で、ゆったりできている。
食堂での夕飯にいたのは、日本語を話すペアと、韓国語を話すペアと、僕の、5人だけ。セミナーハウスらしく、食事のあとの食器を自分で運ぶ。
宿泊者が少ないので大浴場を用意しない替わりに、広いデラックスツインの部屋に案内された。

みごとな庭園や茶室もある。 関西セミナーハウス・修学院きらら山荘

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第2日 比叡山に上がる [曼殊院 京都造形芸術大学 延暦寺(泊)]

* 今日は朝早く出ることになるかもしれないと考えて朝食を予約してなかった。ところが関西セミナーハウス周辺には食べる店もないし、コンビニもないのだったしかも着いてからでは朝食の予約はできないとのことなので、売店でカップのきつねうどんを買って朝食にした。

セミナーハウスを出て曼殊院に向かう。外に出るとすぐ須田剋太が描いたのとそっくりの道が現れた。(石垣の左にセミナーハウスがある)。

須田剋太「曼殊院への道」 曼殊院への道
須田剋太『曼殊院への道』

■ 曼殊院
京都市左京区一乗寺町竹ノ内町42 tel. 075-781-5010

8世紀にはじまる天台宗の寺院で、修学院離宮に近い現在地には江戸期に移った。建築様式は桂離宮に近いという。
『街道をゆく』の旅で訪れたとき、ここで司馬遼太郎はガラスの茶器を見せてもらい、指ではじいて音を確かめたことが書かれているが、その茶器も展示されていて見ることができた。
8つの窓がある茶室「八窓軒」は、別に拝観料をおさめて見学できて、案内の僧から説明をきいた。

須田剋太「曼殊院庭」 曼殊院の庭
須田剋太『曼殊院庭(A)』

■ 京都造形芸術大学 瓜生山キャンパス
京都市左京区北白川瓜生山2-116 tel. 075-791-9122

叡山電鉄茶山駅に向かって歩いていくと、京都造形芸術大学がある。
学園長・細川護熙、学長・千住博、大学院長・浅田彰、副学長・秋元康という世間に名の通ったオールスターのような布陣の大学が、隈研吾氏の設計による至誠館という新校舎を加えたのを見に寄った。
別の校舎のロビーに、やはり建築家の内藤廣氏の作品『18800 pieces 2012.6.13』が展示してあったのに強い印象を受けた。
1年前に、東日本大震災の死者と行方不明者の「数字を実感として体の中に刻み込んでおきたい」として、当時の死者・行方不明者の数の点を打ったという。3日3晩かかったという誠実さに打たれる。

1年後に、その時点の数をガラスのピースで表現したものが展示され、作者の思いも掲げられていた。
「展示されるものがせめて美しくあってほしいと願いたい。美しさは理解することの入口に居るからだ。」
内藤廣さんの作品『18800 pieces 2012.6.13』

* 叡山電鉄の茶山駅に向かう途中、セブンイレブンを見かけたが素通りしてしまった。(あとで後悔した)。
電車に乗り八瀬比叡山口駅に向かうと、どんどん山中になっていく。

自販機のカップヌードル 八瀬比叡山口駅で降りると、駅周辺は、いかにも観光客向けのうどんやそばの店くらい。
財布と時間を消費しそうなわりにおなかが満たなそうなので、いっそこれでと自販機のカップヌードルをベンチで食べた。

ケーブルカーとロープウェイで比叡山頂駅に上がり、山内をめぐるシャトルバスで横川に着いた。


■ 延暦寺/横川地域
滋賀県大津市坂本本町

延暦寺の横川(よかわ)という区域で、で須田剋太は路傍の石仏と根本如法塔を描いている。

須田剋太「横川道上の石仏」 横川(よかわ)の石仏
須田剋太『横川道上の石仏』

須田剋太「横川如法塔」

須田剋太『横川如法塔』
横川如法塔

奥まったところに元三大師堂(四季講堂)がある。
舗石の正面に四季講堂があり、左右に付属的建物があるが、剋太は右の建物を描いている。
「鶏足院潅室」とあり、儀式的なことが行われるところらしい。
白い壁に、柱が水平と垂直の線を刻み、唐破風が曲線でアクセントをつけた建築で、須田剋太にはこちらのほうが正面の堂よりおもしろかったのだろう。

須田剋太「横川にて」 鶏足院潅室
須田剋太『横川にて』

● 延暦寺会館
tel. 077-578-0047

延暦寺一帯では唯一の宿泊施設。1万円台後半で、僕にしては高額な宿になる。朝、昼とカップめんだったので、ごちそうを期待したが、宿坊のことだから精進料理だった。

延暦寺会館の夕食 刺身とか肉とかはない。野菜のほかに蛋白質としては豆腐や湯葉ていど。
ひとめ見たとき、今日1日ここまでの食事を思い出して一瞬がっかりしたのだが、食べていると十分に満足した。食材の組み合わせと味つけがみごと。

今夜はひたすら寂しい思いになっても無理はないような状況だったが、それでも植物性の素材ばかりで満ち足りさせる料理にほとんど感動した。

■ 根本中堂

夕食が終わったあと延暦寺山内を散歩した。
散在する寺や塔がライトアップされている。
延暦寺根本中堂の夜景

根本中堂は秋の夜間特別拝観で堂内に入れるのだが、ほとんど外国人ばかり。坐って瞑想している姿がさまになる。食事の席に大勢いた日本人団体客は風呂にでも入っているか。

根本中堂の構成はおもしろい。こちらに参拝する者がいて、向こうの同じ高さに本尊が祀ってある。その間は低い谷間になっていて、そこで僧が読経する。仏と人が向かい合い、それを結ぶのが僧という考え方によるという。

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第3日 比叡山を東に下る [延暦寺/無動寺谷 慈眼堂 日吉大社 鶴喜そば店 坂本生源寺 日吉そば 琵琶湖疎水取り入れ口]

● 延暦寺会館
朝食もとうぜんに精進料理。玉子さえない。それでも満ち足りた気分にさせてくれるのは夕べと同じ。たいしたものだと思った。

■ 延暦寺/無動寺谷

ケーブル延暦寺駅の脇から、無動寺谷に細い道を下った。

須田剋太「無動寺入口」 無動寺への道
須田剋太『無動寺谷入口』

司馬遼太郎一行は無動寺谷で法華大会を見たという。
急坂を下るとまず明王堂があって、掃除する人がいらした。
法華大会がおこなわれる講堂の場所を尋ねると、講堂は根本中堂の隣にあるものがそうだとのこと。
僕は勘違いしていた。大きな講堂がこんな狭い谷にあるはずがない。
司馬一行は、案内する人があって、法華大会を見るまでの待ち時間のうちに無動寺の堂を訪ねたのだった。
それを僕は読み違えていた。

明王堂では、庭もきれいに掃かれていた。稲妻形にみごとに箒の掃き目が残っていて、ここを歩いてしまっていいだろうかとためらわれるほど。
さらに下ると急な崖に立つ建物がある。石垣を組み、長い柱が建物を支えている。

須田剋太「無動寺谷」

須田剋太『無動寺谷(A)』
無動寺谷

崖に迫り出した部屋から見おろしたら琵琶湖方面の絶景が眺められるだろう。司馬一行は無動寺で煎茶のもてなしを受けたのだが、ここだったかもしれない。

須田剋太「無動寺谷」 無動寺谷
須田剋太『無動寺谷(C)』

底近くにある玉照院に向かったとあるのが、須田剋太が描いたこの絵のことだろう。

無動寺谷から坂を上がって比叡山の中心地区に戻る。
講堂を、須田剋太が描いた「法華大会」の絵と見比べてみれば、まさにそこだった。

須田剋太「法華大会」 延暦寺講堂
須田剋太『法華大会(A)』

* ケーブル延暦寺駅からケーブルカーに乗る。
毎時0分と30分の発車で840円。
駅舎は1927年の開業以来のもので、登録有形文化財に指定されている。淡い黄色と、安定感のあるプロポーションが目に快い。
1階は切符売り場に待合室。壁と天井の縁飾りがおしゃれでいい。
2階は何もないが、かつての貴賓室らしく、優雅にデザインされていた。

ケーブル延暦寺駅の外観 ケーブル延暦寺駅の内部

午前中に山から降りる客は珍しいようで、ケーブルには運転手さんのほか、乗客は僕ひとりきりだった。豪華に貸切!
途中、紀貫之の墓に行く駅があり、トンネルがあり、谷を越えるスリリングな橋がある。
下のケーブル坂本駅も登録文化財。


ケーブル坂本駅 ケーブル坂本駅の内部

■ 慈眼堂(じげんどう)

数分歩いて慈眼堂へ行った。
織田信長の延暦寺焼き打ちの後、その復興に尽力した天海僧正(慈眼大師)をまつる。延暦寺歴代座主(ざす)の墓や五輪塔もあるという。
石燈籠が2列に並んだ先の堂を眺めただけで、さらっと通り過ぎてしまったのだが、須田剋太はここの様子を描いていた可能性がある。

須田剋太『日吉大社(B)』
須田剋太『日吉大社(B)』
『街道をゆく』の挿絵を所蔵する大阪府のリストでは、『日吉大社(B)』というタイトルをつけられた絵があり、五輪塔が描かれている。
このあと日吉大社に行ったが、絵にあるような塔はなかったし、そもそも神社にふつう五輪塔はなさそうなもの。
『街道をゆく』の挿絵に須田剋太は描いた場所を記すことが多いが、記してない絵もかなりある。須田剋太から挿絵の寄贈を受けた大阪府で、管理上タイトルを付したとき錯誤されたと思われる。
(琵琶湖をめぐった別な機会に再度確かめに行ってみた。→ [ 琵琶湖から南へ、北へ-「湖西のみち」 ほか ] )

* 慈眼堂から滋賀院門跡あたりの道を歩く。穴太積みといわる石積みの塀が続く。

須田剋太「坂本叡山」 坂本の石垣の道
須田剋太『坂本叡山』

「石垣の町ですね」
 須田画伯が、せまい道の両側の石垣の面(つら)に吸いよせられるようにして蹣跚(まんさん)とあるいてゆく。(『街道をゆく16』「叡山の諸道」司馬遼太郎。以下引用文について同じ。)

■ 日吉大社
滋賀県大津市坂本5-1-1

かなりな起伏のある広い森に神社がある。
神輿の収蔵庫があり、御輿が並んでいる。
平安期には武装兵たちがこんなのをかついで都に押しかけて強訴したわけだ。
2トンほどもあるというから、かついで比叡山から降り、また上がってきた兵僧の力(あるいは暴力のエネルギー)はたいしたものだ。
御輿は平安期のそのものではないが古くて文化財に指定されている。

須田剋太「日吉大社 日吉の御輿」 日吉大社の御輿
須田剋太『日吉大社 日吉の御輿』

西宮に行くと、4隅を猿が支える形をしたかわった山門があった。 日吉大社 山門を支える猿

ここで須田剋太は前後に建物が並ぶ間の様子を描いている。

須田剋太「日吉大社風景」 日吉大社西宮
須田剋太『日吉大社風景』

ここでは猿の絵も描いた。
博物館の展示物などを模写のように描くことがあるから、これも何か元になる絵があるかもしれない。猿の絵がデザインされたお守りなどを売るところにいた神主さんに尋ねてみた。

日吉大社の猿 神社で作っているものにある猿と、頭に被るもの、手に持つもの、神主のはかまなど、共通する要素はあるが、直接そのまま元になるイメージに心当たりはないといわれる。
須田剋太の遊び心かもしれない。
須田剋太『日吉山山王権現使い猿』

橋の絵も描いている。それらしい橋は走井橋なのだが、松の枝ぶりなど、周囲の景色はいくらか変わっている。

須田剋太「日吉大社石橋」 日吉大社の石橋
須田剋太『日吉大社石橋』

● 鶴喜そば店
滋賀県大津市坂本4-11-40 tel. 077-578-0002

坂本で食事どきになり、司馬遼太郎は以前に別の地で坂本のそば屋の評判を聞いたことを思い出す。
「鶴喜でしょう」
 記憶のいい須田画伯がいった。画伯は、風景にしろ地理にしろ、また詩文にしろ、刻印をうちこむように憶えてしまう。このときも電話帳を繰って確かめたほどに安心した。
「いや、私(わっち)は行ったことがあるんです」
 富山ゆきよりもずっと以前に人に連れてきてもらったという。要するに画伯にとって坂本という寺院と社家のまちは曽遊の地であった。

ところが司馬一行は間違えて近くにある日吉そばに入ってしまう。
その後、比叡山をめぐりおえたあとに一行はあらためて鶴喜そばに行った。「そばをさかなにビールをのんで解散式をしよう」というので座敷に上がってゆっくり過ごしたようだ。
僕はまず鶴喜そば店に入った。

須田剋太「坂本鶴喜そば店」 鶴喜そば店
須田剋太『坂本鶴喜そば店』

古い構えの店だが、中の若い店員さんたちはきびきびしていて盛んな様子だった。
890円のざるそばを注文する。ちょっと冷たい感じが強いが、おいしかった。
蕎麦湯もいい。

■ 坂本生源寺
滋賀県大津市坂本6-1-17

最澄の誕生寺という生源寺(しょうげんじ)がすぐ近くにあり、道を横切って入ってみた。庭に形のよい木があり、あとはさっぱりしている。

須田剋太「坂本生源寺」 生源寺
須田剋太『坂本生源寺』

● 日吉そば
滋賀県大津市坂本4-11-38 tel.077-578-0004

司馬一行が鶴来そばと勘違いして入った日吉そばがどんなところか、生源寺をのぞいただけのわずかな時間をあけただけで入ってみた。こちらの方が日吉神社に通じる表の通りに面している。

やや年配の女性がお茶を運んでくれて、そのあとを孫らしい元気な男の子があとをついていたりする。鶴来そばがしっかり営業体制が整っている印象なのに比べて、こちらは家族で店を営んでいる親近感がある。

外の構えも立派だし、店内も落ち着いた雰囲気で、鶴来と間違えるのも無理からぬと思える風格がある。司馬一行もありきたりのそばやなら、店に入ってすぐ(というより入る前に)勘違いに気がついたろう。 日吉そば

立て続けに食べるので、ここでもシンプルにざるそば630円を頼む。
おいしいが、今日の昼も精進料理のつづきのようになってしまった。

* 坂本駅から京阪電気鉄道石山線に乗った。琵琶湖の西岸を南下する。ぼんやりと暖かい昼下がりに、琵琶湖に沿ったローカル線に揺すられていると気持ちがゆったりしてくる。
でも眠りすぎないように気をつけて、三井寺駅で降りた。


■ 琵琶湖疎水取り入れ口

駅の近くに琵琶湖岸がある。一見すると川が広い水面に流れこむ河口のようだが、水の流れは逆。
京都・蹴上の南禅寺付近まで水を導く琵琶湖疎水の取り入れ口で、広い湖から細い水路に水が流れこんでいく。
琵琶湖疎水取り入れ口

疎水に沿って遊歩道を1キロほど歩くと、水路は地下に潜る。
潜っていく上は三井寺がある丘陵になる。
(水の流れをずっとたどれば、この旅の起点近くの京都に戻ることになる。)
琵琶湖疎水 地下に潜る

* 栗の和菓子で知られる店の本店が近くにあるので寄ってみた。

■ 叶匠寿庵 長等総本店
滋賀県大津市長等2-4-2 tel.077-525-8111

叶匠寿庵 長等総本店
いあかめしく構えているのかと思ったら、住宅街に埋もれるように小さな店があった。ここでだけ売っているのや、いくつか目についたのをみやげに買った。

* 大津駅まで歩いて15分。そこから京都駅までは快速電車で10分ほど。
新幹線下の売店で「近江牛弁当」1000円と缶ビールを買った。
上りの新幹線に乗り、日暮れの比叡の山並みを左に眺めながら、久しぶりに動物性蛋白質をたっぷり含んだ食べごたえのある食事をした。


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参考:

  • 『街道をゆく 16』「叡山の諸道」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1981
  • 「須田剋太『街道をゆく』挿絵原画全作品集」 木村重信/監修 (社)近畿建設協会 2000
  • 2泊3日の行程 (2012.10.23-25) (→電車 =バス …徒歩)
    第1日 京阪淀屋橋駅→出町柳駅→修学院駅…赤山禅院…関西セミナーハウス・修学院きらら山荘(泊)
    第2日 …曼殊院…京都造形芸術大学瓜生山キャンパス…茶山駅→八瀬比叡山口(ケーブルカー・ロープウェイ)比叡山頂駅=横川=延暦寺会館(泊)
    第3日 …無動寺谷…ケーブル延暦寺駅→ケーブル坂本駅…慈眼堂…日吉大社…元三大師堂…鶴喜そば店…坂本生源寺…日吉そば…京阪電気鉄道石山線坂本駅→三井寺駅…琵琶湖岸…総本山三井寺…三橋節子美術館…叶匠寿庵長等総本店…東海道線大津駅→京都駅