日本最古の船着き場からその河口へ-「壱岐・対馬の道」2



壱岐の一支国博物館で須藤資隆館長の講演があるので、僕にとっては2度目の壱岐に出かけた。前のとき『街道をゆく』「13壱岐・対馬の道」の挿絵の地をたどって、須藤館長に島内を案内していただいた、その続編になる。前に行きそこねたところをめぐり、河口めぐりも楽しんだ。
(→前回は[壱岐の博物館と対馬のレストラン])

第1日 福岡空港から博多(泊) 
第2日 博多港~郷ノ浦港 壱岐 [郷ノ浦図書館 小崎港 原の辻ガイダンス施設・船着き場跡 湯ノ本温泉旅館千石荘(泊)]
第3日 壱岐 [小島神社 幡鉾川河口 谷江川河口・芦辺港 壱岐神社 壱岐市立一支国博物館 壱岐マリーナホテル(泊)] 
第4日 郷ノ浦港~博多港 福岡空港

第1日 福岡空港から博多(泊)
福岡空港から、那珂川に沿って歩いて、キャナルシティ博多 福岡県立美術館などの都市的施設を見ていき、博多港に出た。明日はここから船に乗って壱岐に行く。
博多駅の近くのホテルに泊まる。
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第2日 博多港~郷ノ浦港 壱岐 [郷ノ浦図書館 小崎港 原の辻ガイダンス施設・船着き場跡 湯ノ本温泉旅館千石荘(泊)]

* 博多ふ頭へバスで行き、フェリーに乗る。
壱岐の郷ノ浦港へ、所要2:30、2等席1,980円。
ジェットフォイルだと所要1:10、4,040円で、フェリーのほうが時間が2倍かかるぶん、料金が半分になる。
2等の椅子席は中央に1区画あるだけで、あとは靴を脱いであがる区画がたくさんある。そのとおりに靴を脱いでじゅうたんに寝そべる人が多く、椅子席は少数派。僕は椅子席にした。
飲み物の自販機はあるが、食事のサービスはない。

壱岐島の西にある郷ノの浦港で降りる。
ここは司馬遼太郎一行が壱岐から対馬に向かうとき乗船したところで、須田剋太が待合室の様子を描いている。建物がかわっているが、前に壱岐にきたとき、見にきた。
僕はそのときは東の芦辺港に入り、芦辺港から出たので、郷ノ浦港に実際に乗り降りするのは初めて。
送迎車に乗せてもらってオリックスレンタカー長崎壱岐店へ行き、車を借りる。


● 食事処太郎
長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触519 tel.0920-47-4038

博多港を10:00に出た船は郷ノ浦港に12:20に着いて、昼どきになっている。
高台にあるレンタカーの営業所から郷ノ浦の街に下って、レストランに入った。
店の人はみなにこやかで、「観光に?」ときかれて、博物館の講演を聴きにきたと話す。
店の表の壁に、店長の大きな似顔絵がある。
「あれは自分だ」と店長が言い、「30年ほど前の顔で、今はやせてしまった」と奥さんが笑っていう。
食事処太郎

■ 郷ノ浦図書館
長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触490番地9 tel.0920-47-0255

小さな図書館だが、総蔵書数のわりに郷土資料が充実している。
1階でその棚を見ていると、司書が「2階にもありますよ」と教えてくれて、山口麻太郎氏の著書から拾い読みした。
山口麻太郎氏は旧郷ノ浦町の生まれで、柳田国男に感銘して民俗学の道にはいり、壱岐をフィールドに業績を残した。

■ 小崎港

郷ノ浦港から西に数キロのところに小崎港がある。
僕が埼玉県立近代美術館にいた頃、館長は田中幸人氏で、もと九州の毎日新聞の学芸部にいて、小崎(こざき)浦の海士のことなどを取材して『漂民の文化誌』を出版された。
そのとき小崎に田島五郎というたいした海士がいるのに会い、またここでの七夕祭りの習俗についても記録している。
僕が前に和多津美神社に来たとき、小さな祠が並ぶわきに細い竹を組んだしつらえが残っていた。
12月にはどんなだろうかと思って再度来てみた。
片付けられたか、きゃしゃなしつらえだから風雨でとばされたかして、今度はしつらえはなくて、細い竹の棒を立てる小さな穴だけが見えていた。

和多津美神社 2016年5月 和多津美神社 2017年12月
2016年5月 2017年12月

* 西へ、原の辻遺跡へ向かう。
壱岐は対馬のように山が連なる島ではないが、地形は複雑で、車で走ると道はカーブと上下を繰り返す。
それが原の辻遺跡が近づくと、さっと視界が開けて、平坦な土地が広がっている。


■ 原の辻(はるのつじ)ガイダンス施設・船着き場跡

原の辻遺跡は弥生時代の環濠集落。
一支国博物館は原の辻遺跡より小高い丘の上にあるが、遺跡により近い現地案内所としてこの施設がある。

1996年このあたりの発掘調査で、堤防状の石積みが2本並行しているのが見つかり、船着場の跡であることが判明した。
堤防は、自然石を積み上げ、木材や樹皮で固めて強度を確保する、朝鮮半島から伝わった当時の先端工法だった。
紀元前2世紀、弥生中期にできた日本最古の船着き場になる。
かつては幡鉾(はたはこ)川に面していて、川を下ると内海(うちめ)湾にいたり、そこから外界に通じていた。
船着き場のジオラマが入口前の屋外にある。
原の辻(はるのつじ)ガイダンス施設 船着き場跡のジオラマ

今は流路がかわって、川からはやや離れている。
館内で職員にたずねると、実際の船着き場跡は発掘調査のあと埋め戻されて、位置を示すポールが立っているだけとのこと。


ポールの場所に行ってみると、水田に囲まれたなかを細い水路が通っていて、その先にあった。
幡鉾川はもとはここを流れていたが、流路が変わっている。
水路は今の幡鉾川に向かっている。
船着き場跡を示すポール

* 壱岐を時計にたとえると、4時にある原の辻遺跡から、10時にある湯ノ本温泉に向かう。
夕暮れの勝本港の眺めを見てから、港から近い宿に入った。


● 湯ノ本温泉 旅館千石荘
長崎県壱岐市勝本町湯本浦58 tel.0920-43-0004

古い温泉宿なのだが、洋室シングルというスタイルもあって、そこに予約してある。和室の風情もわるくないけど、洋室の快適さがあって、気楽でいい。
小さいらしい食事どころは他の客で埋まっていて、僕は部屋での食事になると、チェックインのときにいわれた。
夕飯は小さなテーブルに運ばれた。洋室だから、部屋食というよりルームサービスみたいな感じ。

メインは鶏肉の鍋料理。
ニワトリが島で一番の御馳走だった頃のおもてなしの料理で、座敷にお通ししてふるまうことから「ひきとおし」といわれてきたもの。
鶏肉は、やわではなく締まったもので、鍋にはあと野菜やそうめんが入る。
島だからもちろん海のものも豊かで、刺身と細いかます焼きがおいしかった。

『街道をゆく』では、司馬遼太郎は壱岐島の中央部、国分寺のあたりのよろず屋に豆腐があるのにひかれて、写真を撮り、朝鮮の豆腐と比べたりしている。
この旅では、前回行きそこねた河口を見たいと思っているのだが、谷江川のことを調べているうち、その上流でうなぎがよく釣れるとあった。
どちらのことも印象に残っていたのだが、食卓には「うなぎ豆腐」が供された。
なるほどうなぎの風味が感じられる豆腐だった。
どういう調理なのかはききそびれた。

湯ノ本温泉 旅館千石荘
宿はかつて米を運ぶ千石船を所有していたので千石荘と名のっている。
レンガ造りの米蔵が、いまは温泉浴場に転用されている。

温泉に入る。
湯は濁っている。
先客が2人いて、泊まっている客ではなく、地元のひとが銭湯のようにつかっている。
湯につかりながら、のんびりした口調の会話をぼんやり聞いているのが心地よかった。
ひとりが、近ごろ酒を飲まなくなったと言っている。
懇親会にもでない。
もうひとりが何といったか聞きとれなかったが、「いや晩酌もしない」とこたえている。
ひとりが先に出て、酒を飲まなくなった人が残った。
湯を出しましょうか?とたずねられる。
熱くなると湯をとめ、さめるとまただすらしい。
お近くですかとたずねると、そうだが、近くといっても車で15分かかるという。

すぐそばの勝本港にもかつては博多へ定期便があったが、今は芦辺港と郷ノ浦港の2つで、強い風のときは寄港地をかえるという。
西風が強ければ東に向いた芦辺港に、北風が強ければ南に向いた郷ノ浦港へ。
勝本港は西北どちらの風にも弱い。

うなぎの話もきいた。
大勢行くからなかなか釣れない。
ひとりで竿を5本とか置いて、どれかにあたるという釣り方で、1本だけ持っていったのではまわってこないという。

ことばのニュアンスとかイントネーションとか、やわらかですてきだった。
いい湯を楽しんだ。

翌朝の朝食は、いちばん早くて7:30とのことなので、その時間にしてもらった。
この宿を選んだのは、2004年11月6日の日本経済新聞の紹介記事にひかれてだった。壱岐の自然と歴史のこと、温泉のこと、食事のことなど、簡潔にまとめた名文で、もう10年以上前になるが切り抜きを保存してあった。
「1万円で大満足」というテーマの連載なのだが、僕の支払いは焼酎代と入湯税を加えても1万円をこえなかった。(食事に壱岐牛を選んで、酒をもっと飲んだりすれば越えるはず。)
紹介文には「壱岐出身の若き三代目夫婦が切り盛りする」とあり、支払のときに女将にその記事のことを話すと、「その若い夫婦はわたしたちのことだが、今はもう次の代が主になっている」といわれる。
こういうすてきな宿が継がれていくときくのは心あたたまる思いがする。
新聞記事のタイトルは「千石荘 島の人情染み入る温泉」というのだったが、そのとおりだった。

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第3日 壱岐 [小島神社 幡鉾川河口 谷江川河口・芦辺港 壱岐神社 壱岐市立一支国博物館 壱岐マリーナホテル(泊)]

* 西海岸から東海岸に走る。
内海(うちめ)という湾の北側に小島神社がある。


■ 小島神社
長崎県壱岐市芦辺町諸吉ニ亦触1969番地

ポツンと海に突き出た極小の島があり、島全体が神域になっている。
干潮のときは海が割れて参道がつながり、満潮になると孤立した島に変わる。


僕が行った12/23の干潮は5:53、満潮は12:33。
朝食を食べてすぐに出れば参道がつながっているときに間に合うかと思ってきてみると、期待どおりに参道が島までのびていた。
両側を海面にはさまれた石ころの道をわたる。
右からぐるっと回りこむと、短い坂を上がったところに小さな社殿があった。
小島神社 干潮のとき

* 内海の海岸線に沿って反時計回りに走り、内海の最奥部にいたる。

■ 河口ビューイング/幡鉾川(はたほこがわ)

幡鉾川は、壱岐島の中央部を東に流れ、内海に注いでいる。
島で最大の川だが、それでも9.25 kmきりない。
水源は標高135mと低く、ゆるい勾配を流れ下ってくる。
途中にきのう行った原の辻遺跡がある。船着き場跡が、今は川から少し離れた田んぼの中にあったが、流路が変わる前、もとは幡鉾川に面していた。
川は河口近くでは壱岐島を形成する溶岩台地を刻んで谷になっていて、両岸の木が繁る丘にはさまれた中を流れて内海に注いでいる。

この河口にはとても近づきにくかった。
内海に沿ってきた細い道は、川の流れに並行するようになると、やや高い位置を通るようになる。レンタカーのナビでは、河口へ行けるかどうかわからない。
路肩に車を置いて、スマホの地図を見ると、細い道が表示されている。
それでも最初に入った小道は行き止まりで、行き過ぎたり、戻ったりして、ようやく川に下った。

そんな行きにくい、わかりにくい所なのに、船着き場があるのが以外だった。
原の辻遺跡の船着き場跡のような古代のものではなく、近代のコンクリート製。
ただ、今は使われていないもののようで、周囲に雑草が生えているし、船を引き揚げるレールがあるが朽ちかけている。
釣り人がひとりいた。
魚釣りをする人のエネルギーはたいしたもので、こんな不便なところまで来ている。
前に東日本大震災から間もない東北の海の岸壁に大勢の釣り人がいて驚いたことがある。

幡鉾川(はたほこがわ)の河口
水面は静かで流れているように見えない。
対岸の木々を映して碧い。
海のほうを見ると、白っぽく光を帯びている。
しっとりしたいい河口だった。

* 午後には一支国博物館の須藤館長の講演をきくつもりだが、午前中に展示を見ておこうと思って博物館に寄った。
そのあと、今度は谷江川の河口を見に、芦辺港に向かった。


■ 河口ビューイング/谷江川

谷江川は幡鉾川についで壱岐で2番目に長い川。
といっても5.75 kmで、水源の標高は113 mで、1番も2番も似たようなもの。
壱岐の歴史は長く深く大きいが、自然の規模は小さい島らしく愛らしい。

幡鉾川は、ささやかな船着き場があったほかには、ひっそりとした谷間だったが、谷江川は人手が大きく加わっている。

江戸期から干拓がさかんに行われて田がひらかれ、芦辺港も作られている。
僕の前の壱岐の旅では、対馬から芦辺港に着いて、帰り道、博多に向かったのもこの港からだった。
ここより南にある一支国博物館から走ってきて、河口近くにかかる芦辺大橋を渡った。
渡った先の北岸に、フェリーの港や商業施設が多くある。
谷江川の河口

● イオン壱岐店
長崎県壱岐市芦辺町 箱崎中山触字干拓2604-2 tel.0920-45-3310

広い駐車場に車がたくさん並んでいる。
壱岐でこれほど多くの車が集まっているところを見たのは初めてで、壱岐じゅうの車の大半(と家計の支出のかなり)をここに吸収してしまっているかと思えるほど。
100円均一ショップやモスバーガーも入っている。
イオン壱岐店

* さらに東へ、外海に向かって走る。

壱岐神社の下の駐車場に着いたところで、パラッとひと吹きの雨がきて、フロントガラスに雨粒がついた。今日は時間予報では9時から15時までカサだった。雨だったら外の景色を見て回るのは諦めて、図書館と博物館にこもろうかと思っていたのだが、ここまで降られずにきた。
今も空は明るいし、遠くに薄い青空も見えている。

壱岐神社の下の遊歩道


少弐(しょうに)の千人塚
壱岐神社は弘安の役で戦死した少弐資時(しょうにすけとき)を祀っている。
神社からの右手に海岸へ降りる遊歩道がある。
すぐそばの海中からとがった岩が突きだしていて、そこにも遊歩道がつなげられている。
岩の先には、芦辺港に寄せる波を防ぐための陸から孤立した防波堤がある。
このあたりの海岸にハングルがかかれたペットボトルがちらほら落ちていた。前に朝鮮半島の方角を向いた対馬の西海岸でたくさん見かけたことがある。ぐるっと回りこんだ位置にある壱岐の東海岸まで流れこんでくることもあるのかもしれない。

遊歩道から壱岐神社に戻って先へいくと、元軍に殺された人たちを埋葬した千人塚がある。

■ 満潮の小島神社

今日の満潮時刻の12:33を過ぎていて、もう一度小島神社に行ってみた。
今朝渡った道はすっかり海面におおわれていた。
潮の干満の理屈を考えれば、こうしたことが起きて不思議はないが、つい数時間前にそこに行けた小島が海中に孤立しているのを目の前に見ると、やはり不思議な気がしてしまう。
小島神社 満潮のとき

* 須藤館長の講演のために再度、一支国博物館へ向かった。
講演の部屋に向かうとき、ガラス壁の外を見ると、雨がかなり強い勢いで降りだしていた。


■ 壱岐市立一支国博物館
長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触(つるきふれ)515番地1
tel.0920-45-2731
http://www.iki-haku.jp/

『司馬遼太郎と壱岐』展を開催している。
それにあわせて今日、須藤資隆館長の講演があり、僕のこの2度目の旅はこれがいちばんの目的。
『司馬遼太郎と壱岐』展の会場には、須田剋太が壱岐で描いた挿絵20点が展示されていた。1枚ごとに、現在の現地の写真と、簡単な説明とが、3点セットで展示してある。
説明文は、さすがに現地の博物館で、簡潔で明快。僕が前にきてまとめたレポートの該当箇所をそっくり入れ替えたいと思うほどだった。
僕がとくにうれしかったのは、神皇寺跡の秘仏が展示されていたこと。
司馬一行は須藤青年(のちの一支国博物館長)に案内されて神皇寺跡をたずね、特別に錠があけられて秘仏を見せてもらっている。
司馬遼太郎が文章に記し、秘仏を拝見する場景を須田剋太が描いてもいる。
僕も前の旅で神皇寺跡に行きはしたが、秘仏は見る機会がなかったので、ここで接することができてよかった。たしかに小さく、黒く、かろうじて顔のつくりがおぼろげにわかるくらいのものだったが、この小さいものが長い歴史と人びとの思いを背負って今にある。

一支国博物館 須藤資隆館長の講演 須藤館長の講演では、司馬遼太郎と、『街道をゆく』の概括的な説明のあと、壱岐での話になった。
当時、須藤館長は教育委員会の若い職員だったが、事務所にたまたま『街道をゆく』の旅で司馬遼太郎が訪れた。それ以前から司馬遼太郎の著書を愛読し、格別尊敬する人だった、その当人がいきなり眼前に現れたのだから、須藤青年にとっては奇跡のようなことだった。それから壱岐を案内し、1日の終わりには郷ノ浦の寿司店で夕食をともにするまでつきあうこととなった。

僕は去年、須藤館長に壱岐を案内していただいたとき、以後、司馬遼太郎とのその日の出会いをずっと心に刻んで生きてきたとお聞きした。
この日の講演でも司馬遼太郎への敬意がずっと底にあって、人が人を信頼し、敬意を抱きつづけることのうるわしさ、あたたかみのようなものを感じながら話を聞いた。
講演の最後は、須藤館長が未来へ向けてとくに重視している司馬遼太郎著『二十一世紀に生きる君たちへ』のことで結ばれた。

講演の前にみた常設展示では、「でるかも展示」というのがおもしろかった。
まだ見つかっていないが、存在する可能性はあり、もし発見されればすごいこと!というもの。
そこで挙げられているのは、[銀印 封泥 筆とすずり 王墓 一支国に来た船]の5つだった。
博物館の展示で、期待だけでまだ実在しないものを示すのは珍しく、夢をそそられた。

* 講演が始まる前に雨がふりだしていた雨は、きき終わって博物館を出るときにはやんでいた。
ただ風が強く、嵐の日のよう。
レンタカーを返す前にガソリンを入れたいのだが、給油所が日曜日で2つ休業していて、ちょっと離れた3つ目でようやく入れられた。
レンタカーを返して、ホテルまで送ってもらう。
チェックインしてから夕暮れの散歩に出た。


■ 金毘羅神社

ホテルは須田剋太が描いた『壱岐島郷の浦港』の絵の場所に近い。
前回このあたりまで来て、絵に文字がある「久間水産」の前から、崖の上に神社があるのを見上げた。
そのときは絵と見比べただけで神社までは行かなかったが、どんなお宮があって、その高い位置からはどんな景色が見えるか、ちらっと気になっていた。
今日、階段を上がると、小さなお宮があり、眼下には郷ノ浦の街があって、明かりが灯りはじめていた。

須田剋太『壱岐島郷の浦港』
金毘羅神社から郷ノ浦に夕景

須田剋太『壱岐島郷の浦港』

● 壱岐マリーナホテル
長崎県壱岐市郷ノ浦町郷ノ浦205-1 tel.0920-47-0603

前はアイランド壹岐2号館に泊まったのだが、今夜は港の水面を隔てた反対側のホテルにした。
部屋はツインルームでゆったりしているし、2方向に窓があり、郷ノ浦港と、そこにかかる橋を眺められた。

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第4日 郷ノ浦港~博多港 福岡空港

* 日の出前でまだ暗いうちにホテルを出て、歩いて郷ノ浦港に行く。
7時発のフェリーに乗り、壱岐を離れる。

郷ノ浦港を出るフェリーから

博多港に9:25着。
前の壱岐の旅と同じように、また福岡アジア美術館に寄ってから福岡空港へ。
105分で成田空港に着いた。

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参考:

  • 『街道をゆく 13』「壱岐・対馬の道」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1981
  • 『司馬遼太郎と宗教』 朝日新聞出版 週刊朝日MOOK 2017 
  • 「1万円で大満足 千石荘 島の人情染み入る温泉」 日本経済新聞 2004.11.6
  • 3泊4日の行程 (2017.12/22-25)
    (→電車 ⇒地下鉄 =バス -レンタカー ~船 …徒歩 >飛行機)
    第1日 成田空港>福岡空港⇒博多駅…キャナルシティ博多…櫛田神社…博多川端商店街…福岡県立美術館…那珂川河口・博多ふ頭・博多ポートタワー=ARTIUM=JR博多シティ…コンフォートホテル博多(泊)
    第2日 博多駅=博多港~郷ノ浦港-食事処太郎-郷ノ浦図書館-小崎港-原の辻ガイダンス施設-湯ノ本温泉旅館千石荘(泊)
    第3日 -小島神社-幡鉾川河口-壱岐市立一支国博物館-谷江川河口・芦辺港-壱岐神社・千人塚-小島神社-壱岐市立一支国博物館-壱岐マリーナホテル(泊)
    第4日 …郷ノ浦港~博多港=呉服橋…福岡アジア美術館…中州川端駅⇒福岡空港>成田空港