6月のロンドン-「愛蘭土紀行」


『街道をゆく』の「22.23 南蛮のみち」では、主目的はスペインとポルトガルにあるのだが、司馬遼太郎はパリを出発点に旅を始め、須田剋太もパリの風景を描いている。
それでパリに行ったのだが、途中の2日間、ロンドンに行った。
『街道をゆく』の「30愛蘭土(アイルランド)紀行」では、主目的のアイルランドに向かう前に、司馬遼太郎はロンドンに滞在した。この旅には須田剋太は同行しなかったが、同行していた写真家が撮った風景からインスパイアされた絵を描いていて、そのうちのいくつかの地をたどってみた。

第1日 ギャルリ・ラファイエット パリ(泊)
第2日 ルーブル美術館、ノートルダム大聖堂など パリ(泊)
第3日 サン・ジュリアン・ル・ポーブル教会 シェークスピア・アンド・カンパニー書店 聖ジュヌヴィエーヴ図書館・聖バルブ学院 国立自然史博物館 レストラン Le Coupe-chou エッフェル塔 パリ日本文化会館 パリ(泊)  
第4日 大英博物館 タワー・ブリッジ テート・モダン ロンドン(泊)  
  第5日 ウォルドルフ・ヒルトン コートールド美術館 ナショナル・ギャラリー フォートナム&メイソン ユーストン駅 大英図書館 セント・パンクラス駅 パリ(泊)
第6日 サクレ・クール寺院 殉教者サン・ドニ礼拝堂
第7日 (成田空港着)

* 5月末にパリに着き、月が明けた6月1日と2日にロンドンを歩いた。
パリについては→[5月のパリ-「南蛮のみち」]。

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第4日 大英博物館 タワー・ブリッジ テート・モダン ロンドン(泊)

* パリでは東駅近くのホテルに泊まった。ロンドン行きのユーロスターが出るパリ北駅Gare du Nordは、その東駅からすぐ近い。
パリにまた戻るので、パリのホテルはチェックアウトしないでそのままにして、1泊分の軽い手荷物だけ持って北駅に向かった。


北駅では列車が出発するホームは1階にあるが、いったん2階に上がって、出入国管理の手続きを経て、また1階のユーロスター専用ホーム(写真列柱の向こう側)に降りる。
パリ北駅

2階では手荷物検査があり、イギリスの入国管理官がいて、入国カードを渡して、パスポートにスタンプが押される。(パリにいるうちにイギリスに入ってしまう。)
手続きは国際線の空港とまったく同じふうだった。フランスからドイツへ列車で移動したことがあるが、乗車駅ではただふつうに列車に乗り、国境を越えるあたりで車内検札のような感じで係官がまわってきて、パスポートを見せるだけだった。
10時13分発に乗るのに9時ころ駅に着いたが、出入国の手続きがけっこう混んでいて、ちょうどいいくらいだった。


■ ユーロスター

高速列車に乗ることも楽しみだった。
30年以上前になるが、初めてのフランスで、ボルドーまで列車に乗ったことがある。ユーロスターとかTGVとかが登場する前のふつうの車両だったが、インテリアの色彩感覚に魅了された。たしかオレンジ色の壁に、セピアで半透明のプラスチックの仕切り板がつかわれていた。日本国内で新幹線に乗ると、内部は白やグレーの無彩色ばかりで、しばしばフランスの列車内の粋な色づかいを懐かしく思い出した。

新しいユーロスターの中はきっとカラフルでスタイリッシュだろうと期待していたのだが、はずれた。色はほとんどグレー系。座席は厚くて、床にはじゅうたん。豪華さを意図したふうだが、移動のための乗り物にしてはややうっとうしい。 ユーロスターの車内

走り心地は快適だった。
窓の外の田園風景もきれい。
ドーバー海峡をトンネルでくぐって渡る。
手前の駅で降りて船に乗り換えることもできるが、1泊2日でロンドンに往復するには時間がかかりすぎてしまう。

パリの北駅を10時13分発に乗り、2時間ちょっとかかってロンドンのセント・パンクラス駅 St Pancras stationに着く。時差があるのでロンドンは11時39分。見かけ上は1時間ほどで着いた。(逆に帰りは3時間かかる)
ロンドンのセント・パンクラス駅

* イギリスに初めての妻が「一度はフィッシュ&チップスを食べたい」という。
ガイドブックのフィッシュ&チップスの項に、大英博物館の近くにある店が紹介されていた。セント・パンクラス駅との間にあるし、ちょうど昼どきでもあるし、そこに行くことにした。
駅の周辺はビルが並び、交通量も多いが、細い道にそれるとすぐ落ち着いた住宅街に入って、人も車も少ない。


● THE NORTH SEA FISH RESTAURANT

ふつうの住宅が並ぶ一角に、まぎれこむように小ぶりな店があった。
メニューを見るとfish-and-chipsの文字が見つからない。間違った店に入ってしまったろうか?
わかってみればそればかりの専門店で、メニューには魚の名前が並んでいて、魚を選び、ふつうサイズか大きいサイズかを選ぶのだった。

THE NORTH SEA FISH RESTAURANTのフィッシュ&チップス 魚にはレモンが添えてあり、タルタルソースとトマトソースのカップが並ぶ。
本来は気楽なファースト・フードだろうから、「いかにもイギリスらしいフィッシュ&チップスをためしてみよう」というのには店の選択が違ったかもしれないが、さすがにおいしかった。

窓の外を眺めると、すぐ前の道にタクシーが駐車していて、運転手がフィッシュ&チップスらしいのを食べている。
店を出てから気がついたら、同じ店の一部に「Take Away」とかいた持ち帰り用の窓が開いていて、そこで買ったのを食べていたようだった。
道に車をとめたまま昼を食べていられるほどに交通量が少なく、のどかな一帯だった。

* 閑静な住宅街をさらに南に10分ほど行くと大英博物館に着く。

■ 大英博物館 British Museum

かつてイギリスの国立図書館はいくつかに分散していたが、今はセント・パンクラス駅の隣に新館が建ち、ほぼ統合されている。
1997年に新図書館ができたあと、大英博物館内の図書館は、ノーマン・フォスターのデザインにより様子が一新された。周囲の書庫は解体して円形の大閲覧室だけ残し、エントランスの中央に位置することとなり、グレートコートと名づけられている。(写真右)
大英博物館 大英博物館のグレートコート

大英博物館の展示室に入りこんだらきりがないので、ロゼッタストーンだけ見て出る。

* 地下鉄Centerpoint駅で1日キップDay Travelcardを買って乗り、Charing Cross駅で降りる。
階段を上がるとトラファルガー広場の東のはしに出る。右にすぐナショナル・ギャラリーがあるところで、ロンドン(観光)のど真ん中に来た。
駅から近いホテルにチェックインして、いったん荷物を置く。
地下鉄Embarkment駅からTower Hill駅へ。
地上に出ると観光名所のロンドン塔がある。そこには寄らずに壁の周囲をまわりこんでいくと、テムズ河にでて、タワー・ブリッジが川を越えている。


■ タワー・ブリッジ

『街道をゆく』の「愛蘭土紀行」には、須田剋太がタワー・ブリッジを描いた絵が掲載されている。

須田剋太『タワーブリッジ』 タワーブリッジ
須田剋太『タワーブリッジ』

船が通るときには2つの塔のあいだの橋が上がる構造になっている。
今は橋が上がることは少ないらしい。
2012年のロンドン・オリンピック開会式では、上部では花火を打ち上げ、橋は上がっていて、聖火を運ぶボートにベッカムが乗っていて、その下を疾走していった。

橋を渡る。
市街中心部方向を眺めると、左にはノーマン・フォスターによるCity Hallが、ずるずるとずれていったような姿をしていて、その先にはレンゾ・ピアノによるとがった超高層のシャード。(写真左)
右にノーマン・フォスターとケン・シャトルワースの設計による砲弾型の高層ビル、ガーキン。(右の写真の右寄り。ほかにも超高層ビルがいくつも建設中。)

City Hallとシャード テームズ河とガーキン

ロンドン・オリンピックのとき、そうした映像を幾度か目にした。
1980年代のパリでは、ミッテランによるグラン・プロジェで、ルーブルのピラミッドとか、新国立図書館とかが進行して、パリの風景が大きく刷新された。
今はロンドンが元気がいいようだ。

(ロンドン・オリンピックでは、音楽にも圧倒された。
開会式を見ていると、ピンク・フロイドやペット・ショップ・ボーイズやマイク・オールドフィールドやポール・マッカトニーなどの曲が次々と流れて、当人が現れもした。僕の趣味領域の30%くらいはブリティッシュ・ミュージックでできあがっているのではと思えてきたりした。パリにもいろいろ思い入れはあるが、ブリティッシュには心にしみた親近感があることに今さらしみじみ思い至った。)

須田剋太『イーストエンド裏庭』
須田剋太『イーストエンド裏庭』

『街道をゆく』の司馬遼太郎の文章では「ロンドン史上名だたるイースト・エンドの貧民街へ出かけた」とある。行政施設やにぎやかな通りや劇場や宮殿などがある中心部、ウエストエンドに比べ、東方の地区は貧しい人たちが住んでいた。

司馬遼太郎が訪れたのは1987年で、行ってみたらかつてのような悲惨さはすでにないと書いている。司馬の表現では「日本の都市の二流地にあるマンション群」という程度の改善状況だったようだが、それからさらに20年以上経ち、シャードやCity Hallやガーキンといった、現代ロンドンの風景を代表する建築が次々と東方に建った。さらに東にはオリンピック・パークができ、ロンドンの東方を更新するという意志がこのところ加速しているようだ。

* 川沿いの道を行く。City Hallの脇を通り、シャードの足もとを行く。
古い街並みを抜ける通りがあって、観光客が大勢歩いている。
テームズ河からすぐのところにグローブ座があった。
その先に、レンガの大きな建物があって、中央に高い煙突が突き出ている。

グローブ座

■ テート・モダン Tate Modern

20世紀以降の現代美術作品の美術館。
もとは発電所だった建物をヘルツォーク&ド・ムーロンがデザインして 2000年に開館した。
各展示階が無料ゾーンと有料ゾーンに分かれていて、常設展示は無料だが、企画展は有料。
無料ゾーンだけ見たが、それでもたっぷりのボリュームがあった。



ドイツの美術館では定番のように見かけるヨーゼフ・ボイスに、この旅では初めて出会って、1室つかって展示してあった。
テート・モダン ボイス展示室

吹き抜けの大空間Turbine Hallは工事中で入れなかった。展示室のガラス壁から見おろすだけ。惜しい。

● テート・モダンのレストラン

最上階にあるレストランで食事にする。
テムズ河に面して全面ガラス張りで、すぐ下をたっぷり水量がある川が流れている。
美術館の案内図のレストランの項には、exciting menuとinnovative wineとstunning viewsを提供しますとある。
stunning viewsというのは、スタンガンstun gunというのがあるように、気絶するほどの眺めといった意味になる。


テート・モダンのレストラン まあ、気絶することはなかったが、川の近く、水の近くにいると、落ち着いてとても気分がいい。

■ ミレニアム・ブリッジ London Millennium Footbridge

テート・モダンを出ると、すぐ前にテムズ河を渡る橋が架かっている。
設計はノーマン・フォスター。2000年6月にできたが、横揺れがひどくて3日で閉鎖され、手直しして再開通したのはおよそ1年半後の2002年2月だった。
閉鎖するほどの横揺れってどんなだったろう。

(写真はミレニアム・ブリッジからテート・モダンを振りかえる。) ミレニアム・ブリッジとテート・モダン

* 地下鉄Blackfriars駅からEmbarkment駅に戻って、ホテルに帰る。

● クラブ・クォーターズ Club Quarters, Trafalgar Square

パリでは中心部からややはずれたホテルに泊まったが、ロンドンではど真ん中といっていい位置のホテルにした。トラファルガー広場から東に向かうストランド通りをちょっと入ったところ。ナショナル・ギャラリーまで歩いて4分くらい。

重厚なつくりで、部屋も広く豪華だった。 Club Quarters, Trafalgar Square


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第5日 ウォルドルフ・ヒルトン コートールド美術館 ナショナル・ギャラリー フォートナム&メイソン ユーストン駅 大英図書館 セント・パンクラス駅 パリ(泊)

* 朝、ホテルを出て、前のストランド通りを東にいく。コートールド美術館の角を左に折れると、ウォルドルフ・ヒルトンがある。

■ ウォルドルフ・ヒルトン The Waldorf Hilton

須田剋太『ウォルドルフホテル』 ウォルドルフ・ヒルトン
須田剋太『ウォルドルフホテル』

『街道をゆく』の旅で、司馬遼太郎一行はロンドン滞在中このホテルに泊まった。
須田剋太が外観を描いた絵では、ホテルはゆるやかに弧をえがいている。由緒ある高級ホテルだから、庭に面してゆったりと構えているのかと予想していた。
着いてみると、ホテルは通りに面していて、道がゆるやかにカーブしているのにあわせて、ホテルも弧なのだった。
すぐ前が通りとはいっても、主要な道どうしをつなぐ補助線のような道で、落ち着いている。

須田剋太はここのレストランも描いている。
中をのぞいてみようかと近づくと、案内係らしい若い女性に「朝食ですか?」とたずねられる。
須田剋太の絵を見せて、日本からこの絵の場所を訪ねてきたというと、笑顔で歓迎される。ホテルに長い歴史があること、レオナルド・ディカプリオが主演した『タイタニック』の食堂シーンはここで撮影されたこと、などを適度な誇りを感じさせる口調で説明してくれる。
たぶんダメだろうと思いながら、中の写真をとっていいかきくと「Sure!」と言って、あとはお好きにどうぞというふうに去っていった。

須田剋太『ウォルドルフホテル食堂』
須田剋太『ウォルドルフホテル食堂』
ウォルドルフ・ヒルトンのレストラン

それで中に入って、何組かテーブルで食事している部屋の隅の高いところから数枚の写真を撮らせてもらった。
司馬遼太郎がホテル内をこんなふうに描写した文章があるが、このレストランのことだろう。
 空中廊下のように一種の中二階というべきデッキが環状にめぐらされ、その中二階が、誰でも応接用に使用できる場所になっている。この環状デッキの下-つまりドーナツの穴の部分は、円形劇場(コロシアム)のように落ちこんでいて、そこで食事をすることができる。土曜日や日曜日には、ダンス・パーティーがひらかれる。
 ぜんたいがまったく英国式で、平明さが室内構成の主題であり、ドアも窓も英国好みの白い桟(さん)と単純なガラスでできており、ひかえ目でさわやかで、空気の色まで象牙色に感じられる。(『街道をゆく 30』「愛蘭土紀行Ⅰ・Ⅱ」 司馬遼太郎。以下引用文について同じ。)

老舗のホテルのレストランといっても、重苦しくなく、開放的で明るい。
ここで朝食にすればよかったと、いまごろ気づいてちょっと後悔する。

須田剋太『ウォルドルフホテル ホテル ドアマン』 須田剋太『ホテル ドアマン ウォルドルフホテル』

 「愛蘭土紀行Ⅱ」では、ほとんど連載1回分をさいて、アイルランドに須田剋太が同行しなかったことと、挿絵がどう描かれたかについて記されている。
(中略)今度の愛蘭土(アイルランド)紀行では、万が一、気温のかわりやすい彼の地で風邪をひかれてはと思い、同行していただかなかった。
 そのかわりに、内田洋司氏が写真をとる。ただし写真がそのまま絵になるのではなく、須田さんは写真を凝視し、ご自分の思想や美意識、あるいは観念のなかのアイルランドなどで分解し、再構築して、この紀行の1回ずつの挿画ができあがっている。
『街道をゆく』を読んでいると、ときおり須田剋太についてふれる文章が現れる。ときにはおかしみもあって、その独特の挿絵だけでなく、同行者・須田剋太の存在そのものが『街道をゆく』の魅力の1つといえる。
「愛蘭土紀行」では須田剋太がなかなか現れないなと思って読んでいたが、挿絵がついていて、いかにも須田剋太らしい選択の風景であり、須田剋太らしい画面だから、まさか同行していないとは思わなかった。単行本で(文庫本でも)2冊になるほど「愛蘭土紀行」は長いのだが、その後半になって、須田剋太が一緒でなかった事情が明らかになる。
上記の引用部につづいて、須田剋太がいかにアイルランドの風景に精神を集中していたかがさらに記される。ただ安易に写真を絵に置き換えたのではないということは、週刊誌に挿絵を掲載する際の(単行本でも同様だが)制作モラルに関わることでもあるだろう。それに加えて、須田剋太という画家自身が安易な制作をする画家ではないことを証言しておこうという司馬遼太郎の真情も感じられて、作家と画家の深い結びつきをあらためて思う。

* 少し道を戻ってコートールド美術館に入る。

■ コートールド美術館 The Courtauld Gallery

広い石の中庭をロの字型に建物が囲んでいる。サマセット・ハウスといって、18世紀ロンドンで最初の大型オフィス・ビルだという。
その一角に美術館があって、コートールドのコレクションを展示している。

ここでは何といってもマネの『フォリーベルジェールのバー』。
バーのカウンターの向こうに若い女性が立って、こちらを見ている。
後ろは鏡で、若い女性の前には男が立っていることがわかるのだが、女性の真ん前に立っているとしたら鏡にあんなふうには写らないのでは?とナゾをかけられる。
女性の表情も、いくらか憂いをおびたような微妙なもので、しばらく見入った。

コートールド美術館 左の壁の大きめな絵がマネの『フォリーベルジェールのバー』。

あとゴッホの『耳に包帯をした自画像』ほか、秀作が展示されている。
ジョセフ・コートールド(1876-1947)が作品を買っていたころは、まだイギリスでは印象派が広く認められていない時代だったという。今見ると印象派の傑作が輝かしく並んでいるが、起源のころには確信犯的情熱があったようだ。

美術館は、おおぜいの人で混雑しているナショナル・ギャラリーから歩いて10分ほどのところにある。これほどの名品が並んでいるのに、こちらまで見にくる人は少ない。惜しいじゃないかと思うが、ゆっくりできてありがたくもある。

* 泊まったホテルの前まで戻ってきて、通り過ぎ、トラファルガー広場にでる。なにか催しがあるらしく、テントをはったりしている。
ナショナル・ギャラリーでは、前にも中にも人がたくさんいる。
トラファルガー広場

■ ナショナル・ギャラリー National Gallery

ここをコートールドでのようにゆったり見ていたら、パリに戻る午後の列車に乗り遅れてしまう。ミュージアム・ショップで1ポンドの館内図を買って名品をつまみ食いした。
ターナーだの、ゴッホだの、フェルメールだの、あと、それらを探しながら目に入ったもの。

* イギリス式アフタヌーン・ティーを楽しむのと、みやげを買うために、フォートナム&メイソンに向かう。
静かな道を行くが、ピカデリー・サーカスにでるとわっと人があふれている。


横断歩道にこんな文字が書いてある。
「頭上注意」のところでは「MIND YOUR HEAD」とか、ぶつっと叩き割ったようなイギリス特有の注意書きの表現がおもしろい。
道に注意書き look right

● フォートナム&メイソン Fortnum & Mason

僕はフォートナム&メイソンの紅茶がけっこう好きで、ひとり暮らししていたころ、朝食はその紅茶とトーストだった。それでフォートナム&メイソンというのは紅茶のブランドだと思っていたが、フォートナム&メイソンという歴史のある百貨店があって、紅茶はなかでも評判がいい1商品なのだった。

最上階のティー・ルーム、Diamond Jubilee Tea Salonに入る。
壁やカーテンなどのインテリアも、食器も、白と、緑がかった淡い水色のみ。(オ・ド・ニールEau de Nil =ナイル川の水という色らしい。)
この2色による空間支配は徹底していて、しっとりと上品で落ち着いていて、ほかにない特別なところにいる気分にしてくれる。

フォートナム&メイソン Diamond Jubilee Tea Salon 3段重ねのトレーには、上からケーキ、スコーン、サンドイッチ。あとジャムとバターとホイップクリームがのっている。
紅茶は、僕はロイヤル・ブレンド、妻はアッサム、おかわりに煎茶をたのんだ。

若くてハンサムなウエイターがサーブしてくれるのだが、妻に話しかけると必ず最後に「...マダム」とつけくわえる。
僕らはロンドンに2日間滞在した前後にパリにいたのだが、パリでは一度も「マダム」なんて言われなかった。

司馬遼太郎はロンドンが好きだった。そこで泊まったウォルドーフホテルは(当時はということになるだろうが)設備が古くて不便だが、ロンドンふうの流儀をわるくないとうけとめていた。
 従業員は、よき執事として訓練されている。しきりに「サー」とつけてくれる。私は紳士とは程遠い人間だが、旦那(サー)にあらざる者はここにいないはずだという暗黙のとりきめがあるようで、そういう暗黙ぶりというのが、文化なのである。
妻もここでは淑女と見なされていたわけだ。
パリでいわれないのに、なぜここでだけ「マダム」なのか、いくらかとまどいとおもはゆい感じがあったようだ。
お茶と3段の菓子で、支払いは95ポンド。このときのレートで15,000円くらいだった。
モノの値段というより、優雅な時間と場所、いわば「マダム」とよばれるような扱いに費やしたことになるだろうか。
妻はここで母や職場や友人へのみやげをかいこむ。パリに行くといって出かけてきたのに、みやげはロンドンだが、ここならはずれはない。

ロンドンのタクシー * タクシーを拾ってユーストン駅に向かった。
ロンドン名物の箱型のタクシーで、僕ら2人が坐った向かい側に補助椅子があり、向かい合いで4人座れる。
これで短い滞在ながら、ロンドンが初めてな妻の市内観光に、フィッシュ&チップス、アフタヌーン・ティー、タクシーという名物をくみこめた。

途中で道が混んでいる。同じ方向に向かう車が2列になって止まってしまっている。
タクシーのとなりの車では、小さな子どもを連れた女性が運転している。地図かなにか見ながら困っているふう。僕らが乗ったタクシーの運転手が声をかけて、道を教えている。見知らぬ人どうしがこんな具合に気軽に声をかけて助け合うのは日本ではまず見かけないが、いい感じだと思う。


■ ユーストン駅 Euston Station

『街道をゆく』の「愛蘭土紀行」は、ロンドンから始めて、リバプールを経て、アイルランドに渡っている。
ロンドンからリバプールへは、ユーストン駅から鉄道で向かった。
須田剋太が、この駅も描いている。

『街道をゆく』の取材は1987年だったが、少しあとの1994年に、僕もこの駅から北に向かったことがある。
美術館に勤務していた頃、アーティスト・イン・レジデンスを始めることになった。そのころ国内では先行事例がほとんどないので、先進地視察に、美術館の仲間3人で、イギリスとドイツを16日間回った。
まずロンドンに着いて、ちょうどその頃ロンドンに暮らしていたアーティスト土屋公雄さんや佐藤時啓さんにお会いしてから、スコットランドに向かった。グライスデールという広大な一帯で継続的にアーティスト・イン・レジデンスを行っている先進地があり、そこに向かう列車の始発駅が、ユーストン駅だった。
そのときのメモを見ると、昼食用にサンドイッチなど買いこんで乗ったとあるのだが、駅構内の様子について記憶はない。
同行していた水野隆さんが「ロンドンから30分走れば北海道」と言ったのは覚えている。実際にユーストンから走り出すと30分もしないうちに、まるで北海道のようだった。緑色のゆるやかに起伏する田園が広がっている。ユーロスターからの眺めもそうだったが、ヨーロッパの田園を列車で走り抜けるのはとても爽快で気分がいい。

須田剋太『ロンドン・ユーストン駅構内』 ユーストン駅
須田剋太『ロンドン・ユーストン駅構内』

今、構内を歩くと、改札口付近に大きな電光掲示板があって、そのへんは新しくなっていそうだが、列車のホームはかつてとほとんど変わりないようだ。

* ユーストン駅と、ユーロスターに乗るセント・パンクラス駅とは、ごく近い。
2つの駅にはさまれて新しい大英図書館がある。


■ 大英図書館 The British Library

大英博物館の中などに散在していた国立図書館が1997年に統合されてこの場所に建った。

たて方向より横の長さが目立つ建築で、壁面は赤れんが。ガーキンとかシャードとか、イーストエンドの新建築がいかにも現代ふうなのに比べ、ユーストン駅とセント・パンクラス駅にはさまれ、大英博物館も近い、旧市街にあることが考慮されいるかもしれない。斜めな屋根が連なるあたりからは、どこかしらエスニックな印象も受ける。(右上に尖塔の上部だけ見えているのは、となりにあるセント・パンクラス駅。)

内部は白い。
外の壁に毎日開館(Open 7 days a week)とあるが、僕らが行った日曜日は閲覧室は閉まっていた。ギャラリーやショップは開いていて、自習用の席もほとんど埋まっていた。
大英図書館

大英図書館の内部

* 大英図書館のすぐ隣が、帰りのユーロスターに乗るセント・パンクラス駅。
1泊2日でロンドンを回ろうというのだから、見残しが多く、つらい気持ちもある。でもパリ旅行に来てこれだけロンドンを回れただけでもよかったということにしよう。


■ セント・パンクラス駅 St Pancras station

セント パンクラス ホテル きのう着いたときには、先へ急いだので駅の様子をよく見ていなかった。
今日、駅に近づきながら眺めると、大きくて重厚な姿をしている。
駅舎とひとつながりの建築内にホテルがある。かなりそそられるが、この先泊まるチャンスはなさそう。

ユーロスター発着用に大きく改造されたことによるのか、パリの北駅よりすっきりしている。いくつか彫刻作品が置かれてもいて、なかには柴又駅前の寅さんみたいな紳士も。 セント・パンクラス駅

搭乗手続きもパリより簡単にすんだ。
ロンドン16時22分発で、パリ着19時47分。3時間以上かかっていることになるが、時差があるから実際には2時間半ほど。
来たときとすっかり同じ座席番号の席だった。終点に着いても日本の特急列車のように座席の向きは変えなくて、行きは進行方向に向いていたから、帰りは後ろ向きに景色を眺めた。

* パリに着くと夜8時前で、まだ明るい。イタリアンの店で夕食をとってホテルに戻った。

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参考:

  • 『街道をゆく 30.31』「愛蘭土紀行Ⅰ・Ⅱ」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1988
  • 6泊7日の行程(2013.5/29-6/4) (→メトロ …徒歩 ➩タクシー >飛行機)
    第1日 成田空港>パリCDG➩ホテル→ギャルリ・ラファイエット→ホテル
    第2日 ホテル→ルーブル美術館…オランジュリー美術館…オルセー美術館…ノートルダム大聖堂…ポンピドー・センター・国立近代美術館→ホテル
    第3日 ホテル→サン・ジュリアン・ル・ポーブル教会…シェークスピア書店…パンテオン…聖ジュヌヴィエーヴ図書館・聖バルブ学院…国立自然史博物館・進化大陳列館…サンテティエンヌ・デュ・モン教会…レストラン Le Coupe-chou→ホテル→ケ・ブランリー美術館…エッフェル塔…パリ日本文化会館→ホテル

    第4日 パリ北駅(ユーロスター)ロンドン セント・パンクラス駅…THE NORTH SEA FISH RESTAURANT…大英博物館→Club Quarters, Trafalgar Squareタワー・ブリッジ…テート・モダン…ミレニアム・ブリッジ→ロンドン(泊)
    第5日 …ウォルドルフ・ヒルトン…コートールド美術館…ナショナル・ギャラリー…ピカデリー・サーカス…フォートナム&メイソン➩ユーストン駅…大英図書館…セント・パンクラス駅(ユーロスター)パリ北駅
    第6日 ホテル→サクレ・クール寺院…殉教者サン・ドニ礼拝堂…アベス駅→ギュスターブ・モロー美術館…パッサージュ・ジュフロワ…パッサージュ・デ・パノラマ…国立図書館リシュリュー館…パレ・ロワイヤル…チュイルリー公園…コンコルド広場…プチ・パレ…ギャルリ・ラファイエット→ホテル=パリCDG>
    第7日 成田空港着